『日本通信』の謎
読書会でテキストにしている『日本通信』ですが、ポルトガルでは6巻に分けて刊行されています。日本語訳は、『定本モラエス全集』に収められていて、1巻から6巻まで一続きに読めるのですが、訳あって原著を調べる必要が出てきたので原著を探したところ、とても困惑することが起きました。
というのは、これら6巻は、3つの出版社から別々に刊行されていて、それぞれ題名の付け方が違っているため、どれが何巻なのかとても分かりづらいのです。
例えば、1、2巻はLivraria Magalhães e Moniz Editoraという出版社から1904年と1905年に刊行され、1巻には1902-1904年の記事が、2巻には1904-1905年の記事が収められています。これらにはタイトルに副題がついています。
”Cartas do Japão : Antes da guerra” (日本通信:戦前)
”Cartas do Japão : Um ano de guerra”(日本通信:戦争の年)
戦争というのは日露戦争のことです。2巻は、日露戦争の開戦から終戦までの時期と重なっているので、このような副題がつけられたのです。
3巻は1905-1906年の記事が収められているのですが、出版社がLello Editores社に変わり、1907年に刊行されました。ややこしいことに、本のタイトルには日本通信という言葉なく、”A Vida Japoneza” (日本人の生活)というタイトルになっています。
この後、新聞連載は1913年まで続きましたが、本として刊行されるのはしばらく中断しました。そして連載が終了してから15年経った1928年になって、ようやく残りがPortugal-Brasil社から刊行されました。
4巻から6巻までは、それぞれ1907-1908年、1909-1910年、191-1913年の記事がまとめられています。そしてこれらは、またややこしいことに”Cartas do Japão 2ª série”(『日本通信』第2シリーズ)と銘打たれ、4巻、5巻、6巻ではなく2-1、2-2、2-3と番号がつけられました。
つまり本のタイトルだけ見たのでは、どれが何巻なのか全然分からないのです。
しかし、そんなグチをこぼしても仕方ないですね。
それはさておき、第2シリーズは、なぜ連載終了から15年も経ってから刊行されたのでしょうか。その理由は、1926年に出た『おヨネとコハル』が大評判になったからでした。日本通信の後半が、刊行されていないことが気がかりだったモラエスは、これを機に出版しようと働きかけたのでした。日本通信がすべて刊行されて安心したのでしょうか、モラエスは翌年の1929年に亡くなりました。
次回研究会開催ご案内
次回の研究会・読書会は下記の日時で開催いたしますので、奮ってご参加ください。
研究会例会・読書会:
日 時: 令和6年3月23日(土) 10時30分~12時
場 所: 徳島大学総合科学部1号館・社会創生ゼミ室2
(下のキャンパスマップの赤丸で示した場所です。)
参 加 費: 無料(申し込み不要)
読書会の内容:資料はその場で配布予定です。
※お車でお越しになる場合,駐車場(工学部の正門ゲートを通って図書館南側駐車場)が利用可能ですが,できるだけ公共の交通機関をご利用ください。なお,ゲートに守衛さんが不在の時には,インターホンで来意をお告げください。
お問い合わせ先:
徳島大学大学院社会産業理工学研究部
佐藤 征弥
電話:088-656-7222
メールアドレス:satoh.masaya@tokushima-u.ac.jp