戦争
ウクライナとロシアの紛争が収まらない状況ですが、最近になって今度はイスラエルとパレスチナが戦争状態に入りました。
モラエスが住んでいた頃の日本も戦争が続いた時代でした。読書会では『日本通信I』を読んでいますが、1903年(明治36)の後半になってから毎回のようにモラエスは日本とロシアの間の緊張関係が高まっている様子を伝えており、10月20日の記事では、次のように記しています。
「日本は非常事態に備えて全艦隊を完全に装備しており、号令一下、全軍隊を発動させる態勢にある。ロシアも態勢をととのえて、恐るべき兵力をアジアの領土の戦略的地点に集結させたという。」
「日本では世論が二つに別れている。一つは戦争が避けられないと判断しているし、もう一つは威厳を保って戦争が避けられるというもので、朝鮮に兵を派遣し、無秩序な国の管理権を握って、威信を落とさずにあわよくば、自国の利益を得ようとさえ思っている。」
翌1904(明治37)年の2月に日露戦争が開戦します。次回の研究会では、開戦時の記事を紹介する予定です。
唐崎の松
滋賀県大津市唐崎の琵琶湖畔に近江八景のひとつ「唐崎の松」があります。
モラエスは、1903年12月6日の記事に、この松を訪ねて行ったことを記しています。
「ひどく年老いた曽祖父のようなその姿は、人々の心のうちに尊敬の念を、神秘な念さえも覚えさせて、思わず帽子を脱いでうやうやしく礼をするほどで、天然物なのに神聖なものと崇められて、そのそばにその木に献げた小さい祠を建て、信者たちが大勢あつまってくる。」
「ところで、ほんの数日前、唐崎に杖をひいたとき、その神秘な樹木がひどく萎れているのを確かめたが、それでもまだ葉はしゃんとしてあおあおした羽飾りをたてていたし、針状の葉は密集する毛まりのようになって群がっていたし、松かさがそこここに実っていて、この大きい老木にもまだ樹液がみなぎって生き生きした春の太陽の光線に、年に似合わない青春が脈打っているのを、はっきりした。」
「ああ、しあわせな老樹よ!・・・・・・」
この松は二代目で、天正19年(1591)に大津城主新庄直頼公等により植えられたと伝えられています。モラエスが訪ねた頃には、衰弱が進行していことが、描写からうかがわれますが、モラエスが訪ねてから18年後の大正10年(1921)に枯死しました。枯死する前に、この松の種を採って育てていた苗があり、それが三代目として引き継がれました。
しかし、その松も近年衰弱が進み、枯死寸前になっています。令和2年(2020)、生き残っている部分の小枝から作られたクローン苗が、三代目の根元に植えられました。
松は長寿のシンボルとして尊崇される樹ですが、二代目は330年生きたことになります。三代目、四代目も長寿であることを願いたいです。
次回研究会開催ご案内
次回の研究会・読書会は下記の日時で開催いたしますので、奮ってご参加ください。
会場は、通常開催しているゼミ室6ではなく、2号館の音楽講義室です。
研究会例会・読書会:
日 時: 令和5年11月25日(土) 10時30分~12時
場 所: 徳島大学総合科学部2号館・音楽講義室
(下のキャンパスマップの赤丸で示した場所です。いつもの場所と建物が違うのでご注意ください。)
※お車でお越しになる場合,駐車場(工学部の正門ゲートを通って図書館南側駐車場)が利用可能ですが,できるだけ公共の交通機関をご利用ください。なお,ゲートに守衛さんが不在の時には,インターホンで来意をお告げください。
参 加 費: 無料(申し込み不要)
読書会の内容:資料はその場で配布予定です。
お問い合わせ先:
徳島大学大学院社会産業理工学研究部
佐藤 征弥
電話:088-656-7222
メールアドレス:satoh.masaya@tokushima-u.ac.jp