徳島大学総合科学部モラエス研究会

徳島大学総合科学部モラエス研究会の活動記録

モラエスの趣味を通じた友人

12/17(土)に研究会を開催しました。

あまり更新しない当ブログですが、モラエスについて関心を持たれた方がネットを調べてこのブログにたどり着き、今回の研究会に参加されました。おろそかにせず、情報更新に努めていきたいと思います。

また、研究会開催についての情報を載せるだけでなく、モラエスの魅力を伝えることもブログを通じてやっていきたいと思います。

 

モラエスと趣味を通じた友人 倉本清一のこと

今回の研究会では、倉本清一という人物について報告しました。

倉本清一のことを知ったのは、何年も前に『モラエス案内』を読んでいて、次の文章を見つけた時でした。

 

 

生前のモ翁と音楽、絵画、演劇などの趣味を通じて親しく交際していた倉本清一氏(五七才)は、百年祭にモラエスの劇「浮かれモラエス」の主人公モラエスにふんして上演する予定で、準備を進めておられたが、さる五月二十九日心臓マヒのため急逝された。百年祭を前に、モ翁の肖像をかきあげ、翁をしのぶ放送座談会中に倒れられたもので、絶筆となった。肖像画は百年祭を記念展覧会に出品されることになっていますが、ここにつつしんで哀悼の意を捧げます。

徳島県立図書館編集発行『モラエス案内』.1955.

 

 

 これまで、徳島においてモラエスが誰かと趣味を通じた交友関係を結んでいたことは知られていませんでした。倉本清一についても、モラエスの著作の翻訳者でモラエス研究家の花野富三をはじめとして、モラエスの知人から彼の名前が出てくることはほとんどありませんでした。何者かわからず、ずっと気になっていたのですが、2022年になって倉本清一の親族の方が、上記『モラエス案内』に記されているモラエス肖像画がしまってあったのを発見しました。肖像画は、モラエス忌の合わせて描かれたもので、絵の周りにはモラエス忌の参加者の寄せ書きが書かれています。これを掛け軸にして保管してあったのです。しかもこの年のものだけでなく、その前の3年間についても同様の掛け軸がありました。これらの掛け軸は、親族の方から徳島日本ポルトガル協会に寄贈されました。

倉本清一が描いたモラエス像と寄せ書き(S30)

 先日、親族の方の家を訪ねて、倉本清一とモラエスがどのような交流をしていたのかお話をきくことができました。お話の内容は、近いうちに詳しく論文にまとめる予定ですが、あらましをここに記しておきます。

 

倉本清一は、西船場1丁目の新町橋近くで船具商を営んでいた家に生まれ、家業を継ぎました。一方で進取の気性に富んでいた彼は、大正10年に徳島で最初の百貨店を作り、人々を驚かせました。また、昭和10年に映画館(松竹座)を設立し、大繁盛しました。彼はまた多趣味で、ダンスや乗馬をたしなんだり、絵や工作も好んでいました。本職の画家ではありませんでしたが、徳島で最初に漫画の個展を開いた人物だそうです。

 清一がモラエスと知り合うようになったのは清一が20代後半の頃とのことでした。モラエスが70才を超えていますので、ずいぶん歳の離れた友人関係ですが、二人とも気にしていなかったのかもしれませんね。モラエスは、ポルトガルの家族や友人と頻繁に手紙のやりとりしていましたので、郵便局にいく道すがら、清一の店の前を通るので、通りすがりに話をするようになったそうです。清一はモラエスにでんちゅうなど衣類や食事を渡したりしていたそうです。

 

 モラエスと倉本清一の交友については、モラエス研究において見過ごされてきましたが、今回の寄せ書きの発見により、モラエスの新たが一面がわかったというとで大きな発見だと思います。

 

次回の研究会

 次回の研究会例会は、2023年2月18日(土)を予定しています。期日が近づきましたら、あらためてご案内いたします。